| 職人としての成り立ち | |
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この章の紹介で 「10才で初めて刷毛を持った」 と書きましたが、 現場に手伝いとして連れて行かれた のは、もう少し前だったように 憶えています。 私が連れて行かれる現場のほとんどが 新築現場でした。 手伝いと言っても子供にできることは限られています。 現場に着くと最初にしなくてはならないのが掃除です。 室内、廊下、階段にたまっている 鉋くずや鋸くずを箒で掃いていきます。 ラスターではなく藁箒(水箒)です。 |
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それが終わると職人さんがラワン材に刷毛で水を打っていきます。 水が乾いてケバが立った所をペーパーでこするわけです。 この様な仕事の合間を縫って汚れてしまったサゲツを焚き火で焼いていきます。 程よく焼けあがったサゲツを火から出し、熱が冷めるのを待って 「ワイヤーブラシ、かわすき、藁箒(水箒)」で掃除をします。 この時サゲツを太陽にかざして、穴が開いていないかをチェックします、 (だいたい5個に1個くらいの割合で穴が開いています) そして水洗い、水が完全に乾いた所で内側にセラックニスを塗り完成です。 それぞれの工程の待ち時間の間、何をしているかと言うと、やはり仕事をしています。 あらかじめラッカーシンナーに漬けて置いた刷毛の手入れです。 浮いた塗料を皮スキで剥がしますが、 この時一緒に銅線を切らないように注意しなければなりません。 毛の方はワイヤーブラシを使って丁寧にこすります。 この時「はかま」を履いているような刷毛はそれを「たんば」で切り取ります、 (この時刃を入れる方向を間違えるといつまでも抜け毛が止まりません) どんなに傷んでいる刷毛でも捨てるようなことはしません。 短くなった刷毛はその後、横樋専用の掃除刷毛になります。 (雨樋を板金で作っていたころの話です) そしてその寿命を全うした刷毛は火の中で燃やします、 けっしてゴミと一緒に捨てるようなことはしません。 道具は道具でありゴミではないからです。 これは小さい時に父親から教えられた事のひとつです。 今でも一年に一度、仕事じまいの日に、貯めて置いた数十本の刷毛を 感謝を込めて火葬にしております。 ともかく家業として塗装業を営んでいるような家の男の子は、 多かれ少なかれこの様な事を経験しているのではないでしょうか。 しかしこの様な事も中学1年の夏休みを最後に終わりを告げました。 私がその手に再び刷毛を握るのは、それから6年後です。 もっとも最初の1年くらいは刷毛は持たせてはもらえません。 親父に影のように張り付いて、只仕事を見ているだけです。 そして何か足りない物があったりした場合それを取りに行きます。 勿論、往復走らなければなりません。 返事は「ハイ」! 「だって」とか「でも」と言うような言葉は許されません。 これを「手元」と呼びます、 私は当初、この様に 「ただ仕事を見ているだけ」 という期間は、かえって仕事を覚える機会を逸してしまうのではないか? と思い、「早く刷毛を持たせて」もらえるよう何度か直訴したのですが、 そのような意見はすべて黙殺されました。 その日は突然やって来ました。あまりにも唐突でした。 「塗ってみるか?」 場所は横浜、ドイツ下見木造2階建ての西の面、1階部分の窓の下、 目の前に差し出された刷毛とサゲツと一緒にいまだ忘れる事のない瞬間でした。 あれから30年近くが経った今、 あの期間(手元時代)の重要性をしみじみと実感しております。 極端かもしれませんが、 今までの職人歴の中でも、 あの1年間ほど仕事を吸収できた期間はないのではないかと思っております。 これはここ数年来、しばしば感じていることです。 ※冒頭の写真は怪我をする直前に撮ったものです。 この直後に立ち木に激突し、腰椎をつぶしてしまいます。 今でもリハビリは続けていますが、 たぶん以前のようなパフォーマンスを発揮できるまでには 回復はできないと思います。(仕事は普通にしていますが) だからと言う訳ではありませんが、 言葉や写真で伝えられる事は少しづつここで紹介していこうかと思います。 しかし残念ながら、 手元時代の1年間で脳裏に焼き付けたイメージだけは伝える事ができません。 |
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